【患者のきもち】わたしの場合①

「この気持ちを誰にも言えなかった」という患者さんのなんと多いことか……私だけではなかった。
 一般の記事では削ってしまうことが多いネガティブな気持ちは、〈無かったこと〉ではない。でも、非難されることもあるし、記事そのものを読まれないことにもなりかねないのが苦しいところ。じゃあ、サポートメンバー限定で語ってもらおう。自身と「私だけではなかった」と安堵する誰かのために。
坂元 希美 2026.08.10
誰でも

サバイバー21年目に突入しました

 まずは、私の場合から。私は21年前にステージⅡAの乳がんと診断され、乳房温存手術、抗がん剤治療、放射線治療、ホルモン療法を受けました。がんの治療自体はうまくいったし、それなりに生きています。

 がんの経験については、5年前にESSEオンラインで書かせてもらったことがあります。うん、だいたい網羅してある。

 が! 自分で言うのもなんだけれど、これでもネガティブ感情はなるべく封じて書いたつもりだったのだ。自分で自分のことを書くならまだいいが、他のサバイバーさんにインタビューしたことをポジティブ変換したり、盛ったりするのは心苦しすぎてのたうち回ってしまう。だから、この企画を始めた。
愚痴上等! 悪口カモン!! ほとばしれ、恨みと泣き言!!!

 というわけで、上記の3記事に書かなかった私のネガティブ感情と、その後の新発見やら初体験を加えて書いていこうと思う。①は、お初ということでどなたもお読みいただけます(全公開で書けないことは今回はナシです。お許しを)。

ここからは、ネガティブです

 読んで下さる方々にはお手数をかけて申し訳ないのですが、リンクした記事をちらちら読みながら進んでいただきたい。

注:「全身写真はこちらです(※バストトップが写っています)」というところは、リンク切れになっているので、ご了承くださいませ。

左右で重さの違う体で生きていく

私の姿がこれから手術を受ける方たちの参考になればと、公開することにしました。年齢相応におっぱいが垂れてくると、けっこう左右の差がはっきりしてきました。

ちなみにブラジャーはEカップで、術側のたりない部分にはパッドを縫いつけてボリュームを合わせています。

乳がんから生き延びて43歳で離婚、退社。人生にがまんする時間はない(ESSEオンライン)

 そう書いてから5年が経ち、左右の差はさらにはっきりしてきた。というか、どっちも加齢によって重力に完敗し、健側(私は左)のEカップはどこまで落ちてゆくのだというほどで、術側との重量差が際立つ。また垂れゆくに従って、ブラトップやブラジャーに収まらん。重い、左だけが。

 ちょうど10年前、経過観察が終わる日におそるおそる「再建が保険適用になったから、検討したいんですけど」と主治医に言うと、ちゃんとした理由で「やらんほうがええ」。「せやけど左ばっかり肩こりがひどい」と食い下がったら「もう慣れたやろ、10年も経つんやし」と言われたのだが、慣れないですよ先生!

 今でもしっかりしたノンワイヤーかワイヤーブラにぎゅうぎゅう押し込めば一瞬は楽な気がするけれど、肌がむり。食い込みに耐えられない。どっちタイプにもブラトップにもパッドを縫い付ける日々。そうしないとブラの中心がずれて(左に寄っていく)、いっそう左肩が重くなるのだ…見映えだけの問題やないねん。

縫い付けてます。

縫い付けてます。

 5年前はまだヨガを習っていて、うつ伏せになると左だけひっかかる(あるいは圧力が集中して痛いとか、右が浮くとか)という人には言えない悩みも多々あった。今は日常生活でも左上半身がよくぶつかる。自分でもよくわからないが、左胸からなにかに衝突することも多々ある。これ一生もんの悩みやないかー!

 乳腺外科医であるところの主治医が言った「慣れるやろ」は、そりゃそれなりに慣れたり対処できた。たまたま私は人生の前半でアンバランスな胸を手に入れてしまい、治療もうまくいったので現時点で20年、平均寿命まで生きるとしたら、あと30年ほどアンバランスなままになる。まだまだ体は変化するし、どうしたらいいのか…。盛るのはわりと簡単なのだが、普段のリラックスした状態でバランスを取る工夫を年齢を重ねるごとに編み出さねばならない。わりと、つらい。


 あ、もし良い工夫を編み出した方、ご存じの方はお知らせ下さい。私だけでなく、そうした情報を求める方のお役に立つと思うのでシェアさせていただきたいです。

 でも、全摘の人に比べたらマシなのかもしれない。両側全摘の人に比べたら、もっと――こんなふうに「自分はマシの側だった」と考えるのも【患者のきもち】。もちろん、実際に言われたこともある(まだラッキーな方じゃないの、こんなことで文句言わなくても…みたいな)。誰か何かと比べなければ、自分の状況はわからないとはいえ、そういうジャッジをして生きていくのも、わりと、つらい。“これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ”(樋口一葉著『にごりえ』より)が口癖になりがちだ。

人間関係、過去も未来もハードル爆上がり

いくら10年生存を達成しても、結婚生活が続くとは限らなかった。「病気もちをせっかく貰ってもらったのに、なぜがまんしないのか」と家族に責められましたが、私にとっては「がまんしている時間は、もうない」のです。

乳がんから生き延びて43歳で離婚、退社。人生にがまんする時間はない(ESSEオンライン)

 家族や人間関係については、もう人の数だけ多様な悩みや苦しみがあるはずで、がんに罹患したことで顕在化することもある。あるいは、治療が終わってずいぶん経ってから発覚することもあると思う。私はこの記事を書いたときは「ちょっと気づいたかも」という段階だった。それが、5年の間にそいつの姿は少しずつはっきりしてきて、どうやら私には深刻な背景があったことに気づかされた。インタビューした方たちの中にも「あれ? なんか気がついたんですけど…」という方が何人かおられた。

 デリケートなことなので、すべてはやっぱり書けないけれど、ある程度をサポートメンバー限定記事で、後日書くつもりです。

更年期障害アゲインだけじゃないぞ

私はちょうど44歳(がん後12年目)あたりで身に覚えのない体調不良が出てきました。まず股関節や手の指の痛み、異様な肩や首の凝り、全身にカイロをはっても寒くてしかたない冷え…治療後に戻った生理も不安定になっていました。

「乳がん後14年を生き延びた47歳。「がんになる前の体には戻れない」https://esse-online.jp/articles/-/6691

 本番の更年期がやってきた。平均では閉経の前後5年ずつ(計10年)くらいが更年期で、えええまた10年!?(個人差あり)と打ちひしがれた。いっぺん味わった苦痛をもう一度というのは、ぜんぜん楽ではない

「更年期障害、耐えがたし」と、ホルモン補充療法(HRT)を受けたわけですが(かなり楽になった)、どうも由来が違うっぽい痛みがあった。いろんな診療科を受診したり検査したりでわかったのが、片頭痛と線維筋痛症。製造から45年以上経ってるんだからいろいろガタがくるもんで、いろんな病気や症状が起きやすくなり、がまんできる体力も減っていく。ああ嫌だ嫌だのループがまた始まる……。

 逆に50歳を超えたらホッとしたのは、がんの罹患者数がぐっと増える年代なので、私だけじゃないんだ! と思えたこと。加齢という要因がどどーんと大きくなるんだから、再発の恐怖はずいぶん小さくなった。でも、1年に1,2度は何かしらのがん罹患を医師から告げられてパニクる悪夢を見る。

うわぁマジでこういうこと言うんや…が、多過ぎる。

 ESSEオンラインの3回目は、当時これで大丈夫かな、剣呑じゃないかなと心配していたけれど、マヨネーズで和えたようなコーティング感でそれなりに言いたいことを盛り込んだな、と読み返して思う。

 ここに書かなかったことでいまでもしんどいなと思い出すのは、両親と険悪な雰囲気になったとき、親戚から言われた「この子は病気なんだから大目に見てあげなさいよ」がある。これは親切心というか、その場を収めたい気持ちから出た言葉だったと察するけれど、これが孤立無援ってやつかと感じた。もうひとつ、5年の治療が終わりにさしかかった頃、久しく会っていなかった友人にもうちょっとで治療が終わるけど、再発の不安があるんだよねと話したところ「そんなふうに言う人ほど長生きするんだよね」である。意地悪な人ではないはずなのだが、私には悪意と嘲りしか感じられなくてびっくりした。友人の意外な一面を見たというか、急に平手打ちをくらったというか……あれだ、鳩が豆鉄砲を喰らった状態だ。きっと2人ともそんなことを言ったとは覚えていないだろう。けれど、言われた側は忘れない。忘れられないほどの苦境にいたからだと思う。

 とはいえ「『がんばって』は禁句」(抑うつ状態の人にもそのように言われますね)だとか、声をかけにくかったらがん相談支援センターなどで助言をもらえることなどはずいぶん浸透した。私も患者さんの友人などから相談を受けることがある。そのワンクッションがあるだけでも、ずいぶん変わると思うし、実際に妙な健康食品や水素吸入を勧めたい人を留まらせたこともある。それでも「アドバイスしたがり症候群」「傷つけるのが怖いから放っておく派」になりがちな人は多いもので、ため息10回は必須になる。相談するからには本当はそうしたくないんだろうと思いつつ、やんわりと肯定ではない相づちをうちながら、どうか患者さん(あなたの友人なり家族なり)のことを大切に思ってくださいと伝える。

キャンサーギフトがなくても生きていたい

 記事の最後に、私はこう書いた。

もし、「(キャンサー)ギフト」を得たのだとしたら、「ままならない状態で、どうやって生きていくか」について、自分独自の考え方や感じ方を大事にしようと思えたことかもしれません。

同上

 これはずいぶん苦しんでひねり出した文章だった。なぜなら「そんなことを考えなくてもよかったほうがいい」のだから。世界は白黒で分けることができ、気の毒な人もいるんだなあくらいで済ませられれば、ずいぶん気が楽だったろうと思う。

 この間に取材した患者さんはずいぶん増えたけれども、亡くなった人たちもいる。肉体的、精神的、そして経済的に厳しい治療を続けている方々もいる。つい「私なんかが生きちゃっていて、申し訳ないなあ」と思ってしまうのだ。それがギフトなら、けっこうな責め苦だと思う。

***

【患者のきもち】次回は、「わたしの場合②」です。ここから、基本的にサポートメンバー限定記事とさせてください。「わたしの場合」も、他のインタビューもデリケートな話題に及びますし、個人を特定されると困ることもあるからです。そのぶん、「変に思われるから言わないでおこう」みたいなことも語ってもらっています。月額480円ですので、ぜひ登録いただけますようお願いいたします。

無料で「坂元希美のレター Care killed the Cat?」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら